私が赤ちゃんを大好きに大好きになった瞬間|赤ちゃんの沐浴はスキナベーブ

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持田ヘルスケア株式会社

エッセイコンテスト

スキナベーブ 赤ちゃんエッセイコンテスト

【第14回】~ 赤ちゃんとの出会い ~

入選

・私が赤ちゃんを大好きに大好きになった瞬間

兵庫県  教師  男性  56歳

ハッキリ言って、「赤ちゃん」なんて大嫌いだった。ギャーギャー泣いてうるさいし、「可愛いでしょ!」などとよく言うが、そうでもない場合も多い。「無邪気で素直!」と一般的に言われているが、要は「好き勝手。本能のまま」ということじゃないか。
しかし、「赤ちゃんが嫌い!」などということは絶対に知られてはならないトップ・シークレットである。特にその多くが赤ちゃん大好き人間である女性たちに知られては、私は極悪非道の大罪人と同じように扱われてしまうであろう。
そこで私はつとめて平常人であるかのように振る舞った。運悪く、親戚や近所の人たちが赤ちゃんを囲んで歓声をあげている場面に出くわした時も、決して悲鳴とともに逃げたりせず、艶然とほほ笑み、身を乗り出して、「ホントに可愛いですねェ」などどやるようにしたのである。万一、その時誰かから「あなたもダッコさせてもらいなさいよ!」などと言われても、その相手を睨みつけないよう気をつけながら、嫌いなんてことをオクビにも出さず、堂々とその赤ちゃんを抱き上げたものだ。
ところが。こちらの気持ちが伝わるのだろうか、私が抱くとほとんどの赤ちゃんは泣き喚いた。何だか腹黒いこちらの正体が見透かされているみたいで、はなはだ不気味な気持ちになる。「ほぉら、泣かないの」などと言ってあやそうとするが、赤ちゃんはますます火のついたように泣くばかり、時には体をのけ反らせようとする。体はグニャグニャとして今にも手から落ちそうになる。「いやぁ、すっかり嫌われちゃったなぁ」と言いながら次の方へとバトンタッチする訳だが、背中は一面汗でビッショリである。「赤ちゃん」という呼び名は、顔が赤いからだそうである。猿じゃあるまいし、と名前まで気に入らなかった。
だから、結婚して5年、子供ができなくても余り気にならなかった。夫婦2人だけで人生を過ごす、という場合もアリかな等と考えていたのだ。しかし妻は違った。妻は赤ちゃん大好き人間のトップを走っているような人間だった。私と妻とを足して2で割ると、ちょうど平均、そう考えてもらったら良い。
妻の妊娠がわかったのは、そろそろ不妊治療を考えようか、と2人で話し合い始めた頃だった。だから赤ちゃんができたとわかった時、嬉しかったというより、ホッとしたというのが正直な感想だった。妻のお腹がだんだん大きくなって来るにつれて、私には新しい心配事ができた。それは、生まれて来る赤ちゃんに私が愛情を持てなかった場合、どうすればいいだろうというものだった。
予定日より早く妻は産婦人科に入院することになった。「初産だが、思ったより出産が早くなりそうです」と担当のお医者さんが言った。私と妻のそれぞれの両親も心配顔で病院に来ていた。陣痛が始まり、妻は分娩室に運ばれていった。母子ともに健康でありますように・・・。私の願いはただその一点だった。2、3時間もした頃だったろうか、私の耳にオギャーオギャーという力強い声が聞こえた。それからしばらくして、一人の看護師さんが両手に赤ちゃんを抱えて笑顔で出て来た。「元気な男の子ですよ」その瞬間、自分は父親になったのだという何とも言えない感情が込み上げて来た。その時、赤ちゃんの口が少し動いた。「動いた!」全身を走る喜び。いつまでもいつまでも見つめていたかった。
あの瞬間以来、私はわが子は勿論、他の全ての赤ちゃんを可愛く感じるようになり、自他共に認める赤ちゃん大好き人間となってしまった。この変化は、元々私の中にあった赤ちゃんへの愛情が、正しい形で出現したということではなかったのだろうか。
あれから二十余年が経過した。最近私は、孫という呼び名の新しい赤ちゃんとの出会いを強く願う日々を過ごしている。

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