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大賞 |
志村あやか |
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14歳差のおとうと
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神奈川県 会社員 25歳 |
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色んな人に、今どき珍しいね、と言われる。 私には、2歳離れた弟と、14歳離れた弟がいるからだ。
今から11年前。 その時、私は13歳だった。 母から、どのようにして、これから世に出る赤ちゃんの存在を知らされたか、よく覚えていない。 それでもはっきりと覚えているのは、母親の妊娠を素直に喜ぶ11歳の弟と比べて、私はだいぶ複雑な心境だったということだ。
「赤ちゃん」という存在は、とてもかわいく、愛らしい。しかしひとりの人間の命を授かり、産み、育ててゆくことは、決して綺麗事では済まされないことなのだと、思春期に差し掛かった私は気付きはじめていた。 だからこそ、母の出産に素直に賛成することはできなかった。 生まれてくる赤ちゃんも、愛せるという確信が持てなかった。 母との心の距離も、広がっていった。 「私は、意地悪なおねえちゃんなのかな…?」 多感な時期の少女は、罪悪感と正論との間を、孤独に行ったり来たりしていた。
そんな複雑な思いとは裏腹に、母のお腹は少しずつ大きくなった。 悪阻で辛そうにしている母を見て、不思議と、同じ女性として冷たくすることはできなかった。 気がつくと、私はよく、母のお腹を触るようになっていた。 お腹の中で赤ちゃんが動く様子が、徐々にはっきりとしてゆく。 その赤ちゃんの動きを通して、離ればなれになった母との距離が、少しずつ近づいていった。
程なくして、母は出産の時を迎えた。 「あなたの時と比べたら、だいぶ楽だったわ。」 母は、生まれたての赤ちゃんを抱きながら、おどけたようにして私に言った。 「お姉ちゃんにも、似てるかもね。」 母の気づかいが、妙に照れくさかった。
赤ちゃんは、男の子だった。想像していたよりもずっと小さく、ずっと可愛かった。 私は、小さな弟の世話をせずにはいられなかった。 そしてその中で、多くのチカラを与えられたように思う。 力いっぱいに泣く赤ちゃん。何で泣いているの?言葉なき者の言葉を理解しようと、私はこれまでにない程、一生懸命になった。 大きく口を開け、声を出して笑う赤ちゃん。その笑顔は、全ての悩みや不安を吹き飛ばしてしまうほど、ピュアで、尊いものだった。 ひとつひとつ、「できること」が多くなってゆく日々。 体は小さいけれど、必死に生きる赤ちゃんの様子を見て、「ボクも頑張ってるんだから、おねえちゃんも頑張って!」と、勇気づけられているような気がした。 そして何より、家族が赤ちゃんを大切に育てる様子を見て、私もこうして育てられたのだということを、無言のうちに感じる自分がいた。 小さな弟を育てるということは、同時に、自分が育った道、そして親の気持ちを知るということでもあった。 ケンカをしたり、衝突したりすることも多かった親の心情を、ほんの少しだけ、理解することができた瞬間でもあった。
そして、弟が生きてゆく上で、目標になるとまではいかないまでも、恥ずかしくない程度の生き方をしたいという思いも、いつからか芽生えはじめていた。
私はいったいどれだけのチカラを、小さな弟から与えられたのだろう。
弟が生まれる前より、多くのことを認められるようになった私は、「ちょっぴり優しいおねえさん」になれたのかな。
その答えは未だにわからないけれど、ただひとつ、通常の14歳では経験できないことを経験できた、ということだけは確かなのかもしれない。
弟も小学生になり、最近は一緒に歩いていても、「若いママ」と勘違いされることはなくなった。何だかちょっとさみしいかも、と思いながら、私は今日も、まだまだ無邪気な弟の「おねえちゃん」をしている。
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