【第11回】~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~
入選
・待望の11代目
島根県 主婦 女性 36歳
去年の初夏、出産のために大きなお腹を抱えて実家へ帰った。
私のお腹には、結婚して7年目に授かった、まさに待望の赤ちゃんがいた。
実家で私を待っていてくれたのは、両親、そして祖母だった。
私が赤ちゃんを授かったのは、主人の赴任先のイギリス。
それで、家の近くの病院に行ったのだが、日本とイギリスでは、妊娠に対する考え方や医療システムが違っていた。
辛かったのは、なかなか胎児のエコーをとってもらえないこと。
つわりで体調の悪い日が続いていたけど、なかなか赤ちゃんの姿を見ることが叶わなかった。
お腹の中に本当に赤ちゃんがいるんだろうか、と不安な思いの日々だった。
それに、体重に関してノーチェックだったので、私は自分自身では体重管理ができずにいた。
だけど、イギリスは西岸海洋性の気候だから、夏でも25℃以下と過ごしやすい。
出産予定日は10月で、主人の帰国予定は9月。
妊娠中は熱帯みたいな日本ではなく、涼しいイギリスで夏を過ごしてから帰国したいと私は思っていた。
たまに国際電話で実家に電話をすると、いつ帰ってくるのかと祖母からよく質問された。
順調ならばいいけれど何か異常があって出産までに帰国できなくなることが1番心配だと言われた。
ある日、一通の手紙が届いた。
封筒に書かれた宛名は母の字だったが、中身は祖母からの手紙だった。
ローマ字はおろかアルファベットもわからない祖母は、母に頼んで宛名を書いてもらったんだろう。
祖母はイギリスでの病院の対応に不安を募らせ、たまらず筆をとったらしい。
その手紙に背中を押され、1人で帰国する決心をした。
最近聞いた話だが、祖母は、イギリスから帰国した私を見て、「また会えた」と涙を流したんだそう。
数年ぶりの日本の夏は、記録的な猛暑で体温と同じ気温の日が何日も続いた。
外気も暑いけど、妊婦の私は体の中からも暑い気がした。
とにかく朝から晩まで汗が流れた。
涼し気なマタニティー服を持っていない私に、祖母が簡単服というワンピースみたいな服を貸してくれた。
家の中で、私と祖母は、まるでペアルックの服を着ているかのようにして、ひと夏を過ごした。
そして、秋になり、息子が産まれた。
祖母にとって8人目の曾孫。
内曾孫という言葉があるかどうか知らないが、「我が家の跡取り」、「この子がいなかったら、この家が続いていかない」と大変な喜びようだった。
島根の田舎で育った私は、200年以上続く我が家の10代目。
主人を婿養子に迎え、産まれた息子は11代目ということになる。
特に家で事業をしているわけでもないので、家業を継ぐという役目はないが、大正生まれで、何年も島根から出たことのない祖母にとっては、家名が続くかどうかが大問題なのだ。
祖母は、息子の声がすると、すぐに自分の部屋から出てくる。
耳が遠くなってきて、食卓での私たちの会話は聞こえづらいらしく、私が話しかけても何度も聞き返してくるのに、息子の甲高い声だけはよく聞こえるそう。
息子に常に語りかけ、手拍子、振り付きで童謡を歌っている。
英語学習用のDVDも一緒に見る。
アニメーションが歌っている英語の歌を、聞こえたままに真似して英語とは思えない言葉を歌っている祖母。
息子と祖母どちらが先に英語が上達するだろう?
ピアノのおもちゃで遊ぶ息子に、「よっちゃんのママは小さい時に県民会館でピアノの発表会をしなったんだよー」と話してやっている祖母。
私にはそんな華々しい記憶はないけれど。
息子の遊び相手をして活発に動くようになった祖母は、元気に88歳の同窓会にも参加。
きっと笑顔で曾孫の話を同級生たちにしてきたに違いない。