おじいちゃんになれた父|赤ちゃんの沐浴はスキナベーブ

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持田ヘルスケア株式会社

エッセイコンテスト

スキナベーブ 赤ちゃんエッセイコンテスト

【第11回】~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~

入選

・おじいちゃんになれた父

福島県  主婦  女性  34歳

2010年。私を取り巻く環境は良いものではありませんでした。
1月に父親が重症膵炎にかかり意識不明の日々が続き、5月に祖父が老衰で他界。父親はその後も大きな手術を何度もし、入院生活が続くうちに、街中の木々が冬支度を始めていました。
そんなある日、私にとっても素敵なプレゼントが!
あきらめていた赤ちゃんを授かったのです。
元々不妊症気味だった私にとっては、人生最大とも言えるような出来事。
突然の事に驚きと感動と不安とが入り混じり、ドキドキな毎日が始まりました。
そして順調に妊婦検診を乗り越えて、待ちに待った予定日に。
しかしいっこうに生まれる気配はありません。
結局1週間遅れて入院となり、陣痛促進剤を使用し18時間程度、中途半端な痛みに耐え続けましたがそれでも微弱陣痛でしかなく、このままだと赤ちゃんが危ないという事で緊急帝王切開になりました。
私の思いは一つ。
「とにかくお腹の赤ちゃんを助けて!」
ですが自分はどうなっても良いなんて思いませんでした。
だって私がいなかったら、この子は誰が守るの!
私も頑張るから一緒に頑張ろうね!とお腹の赤ちゃんに言い聞かせ、2011年5月某日 16:02 3320グラム。
元気な産声を上げて男の子が誕生しました。
私は手術台の上で、数分前まで自分のお腹にいた我が子の顔を触らせてもらいました。
温かい。
そう感じた瞬間、父の事やら祖父の事、そして私の生まれ育った町の景色を変えてしまった大震災の事など、いろいろな思いが涙となり溢れ出し、止まらなくなってしまいました。
父は体重も半分に減り、筋肉も落ち力も無く、体にはいろんな装置を付けられ、3日に一回の透析、毎日何本もの点滴、口からは何も食べてはいけない。
そんな何の楽しみも生きる気力も沸かないような入院生活を送り、先生も退院の目途が立てられない程の状態でした。
きっと生きる事をあきらめていたと思います。
でも、父は孫が出来たと知った時から、頑張ってリハビリをし奇跡的な回復を見せ退院する事が出来ました。担当の先生も驚くほどです。もちろん出産の日も病院に来てくれていて、自分が何度も死と直面した経験を思い出しつつ、孫の顔を見れた事に何とも言えない嬉しさがあったようです。
「生きてて良かったなあ。俺もおじいちゃんかー。」
父がそうつぶやきました。
この子が父に生きる力を与えてくれたんだと思いました。
新しい命が宿ったという事実が、消えかかった命の火を灯してくれました。
我が子に限らず、これから生まれ来る小さな命が、沢山の人の心に、そしてこの大変な今の日本に、ほわっとあたたかな火を灯してくれると思います。
赤ちゃんの微笑みって天使みたいなんだよ。
赤ちゃんが笑うだけで、幸せな気分になれるんだよ。
赤ちゃんのチカラって、何よりもすごいんだよ。

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