命のバトン|赤ちゃんの沐浴はスキナベーブ

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持田ヘルスケア株式会社

エッセイコンテスト

スキナベーブ 赤ちゃんエッセイコンテスト

【第8回】~ 赤ちゃんとわたし ~

入選

・命のバトン

滋賀県  会社員  31歳

人見知りが始まった生後8ヶ月の娘に、遠方に住む義父母が会いに来てくれた日のこと。(はるばる来てくださるのに、大泣きされたらどうしよう…。)そしていよいよご対面。案の定というか、予想以上というか、娘は失礼なまでに泣き叫び、私はただただ苦笑い。さて、困った…。
(そうだ!赤ちゃんはママと仲良くしている人には心を開くって聞いたことがあるぞ。)でもそれが結構難しい。仲良くってどうやって??
次の瞬間、私の肩に温かな腕がすっと伸びてきた。お母さんから私に抱きついてくれたのだ。そして「ママと仲良し仲良し♪」と笑っていた。それが嬉しくて。程なく娘は大粒の涙をほっぺに残し、泣き止んだ。お母さんと肩を組んでいた私は、あの日のことを思い出していた。そうそう、娘の命を授かったのは、大好きな主人と4人の両親がきっかけだったのだ。
それは去年のはじめ。仕事を楽しんでいた私もそろそろ子どもが欲しいなと思っていた頃。それを本気にさせたのは、主人と自分の両親はもちろんのこと、結婚当初から主人のお父さんお母さんのことも大好きだったから。
「こんなに素敵な人たちに囲まれて、生かされている私。おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんたちから受け継いだ命のバトンを、私も次世代につなぎたい。」
もともと子どもが好きだったけれど、私の仕事を尊重して何年も静かに見守っていてくれた主人は、私の言葉に大きくうなずいてくれた。こうして私たち夫婦は娘の命を授かった。
それから9ヶ月が経ち、いよいよ、分娩の日。陣痛がきてから数時間が経ち、もうすぐ赤ちゃんに会えるというとき、遠のく意識の中で、周囲が何やらあわただしい雰囲気。赤ちゃんの心音が聞こえにくくなったと。へその緒が絡まっているのか、胎盤が剥がれかけているのか…、とにかく一刻も早く赤ちゃんを外に出す必要があるらしい。私の手を握る主人に主治医から緊急帝王切開へ切り替える説明がなされ、私も力を振り絞ってうなずく。
その瞬間から手術までは鮮やかなまでに迅速だった。分娩室にあふれるほどたくさんの産科スタッフが集まり、点滴を施し手術着に着せ替え、「1,2,3!」と私を持ち上げて手術用ベッドへ移動。ベッドの車輪がガラガラと音を立て、廊下の天井の柄が猛スピードで変わっていく。エレベーター前で「がんばって!!」と母の声。手術室に着くと、たくさんの手術スタッフにバトンタッチ。すぐに麻酔がなされた。もうすぐ逢えるからなぁという先生方の声がして…。
1秒を争い、たくさんの医療スタッフがつないでくれた娘の命のバトンパスの数々。私もまた、酸素という贈り物を娘に届けたい一心で、深い息を続けた。それを支えたのは、「子どもは心配するものではなく、信じるものだよ」と教えてくれた主人の言葉だ。
こうして娘の命は助けられ、か細いけれど力強い、元気な産声が聞こえた。カンガルーケアができない私のために、助産師さんが娘と私のほっぺをちょんっと合わせてくれた。なんてあったかいほっぺ!!私たち、生きてるね…。
娘はその小さな手の中に、命のバトンを持って生まれた。それはそれは、眩しいバトン。娘にはこれからいろんなことがあると思うけど、くじけそうになった時にきっと力をくれるはずだと信じている。
優ちゃん、あなたにもいつか大切な人と命のバトンをつなぐときが来るね。ずっと先の将来を描きながら、パパやじぃじ、ばぁば、親戚みんなみんなで一緒に幸せを紡いでいこう。

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