わがまち|赤ちゃんの沐浴はスキナベーブ

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持田ヘルスケア株式会社

エッセイコンテスト

スキナベーブ 赤ちゃんエッセイコンテスト

【第8回】~ 赤ちゃんとわたし ~

入選

・わがまち

石川県  36歳  36歳

「赤ちゃんのここが大変」みたいなことは、世の先輩ママを見ていれば大体察しがつくし、足りねば育児書でも読めばよい。私はちゃんとやれる。
育児を始めたばかりのころの私は、そう考えていた。
だから、親類縁者の一人もいないこの街に移り住み始めたときも、さほどの不安はなかった。帰りの遅いパパと生まれたばかりの娘との核家族三人の生活は、それなりにうまくいっていた。育児の一切合財を私一人でこなすことはとても忙しかったが、愚痴を言うのはいやだった。産むも育てるも自分で選んだ道なのだからと割り切っていた。
ただ、せっかくつけた我が子の名前を呼ぶ人が、私のほかにいないのだけはさびしかった。「みいちゃん」とこの子が聞くのが、ただ私の声からばかりだなんて、なんだか不憫に思えてならなかった。
そんなある日のこと。初夏の陽気に誘われて、私はいつになくぐずる娘を抱いてぶらりと表へ出た。始まったばかりの離乳食を食べさせるのに疲れきって、私のよれたTシャツにはかぼちゃのしみがついたままだった。
「あら、こんにちは」
声をかけてきたのはとなりのばーちゃんである。
いやなときに見つかっちゃったな・・・。軽く会釈を返し立ち去ろうとした私に、ばーちゃんは食い下がった。
「しばらく見ない間に、赤ちゃん大きくなったね!ちょっと抱っこさせてや!」
ラグビーボールのように奪取された娘は、案の定、ばーちゃんの腕の中で号泣してしまった。あ~あ、と思うのもつかの間、ばーちゃんは赤ちゃんをあやしながらぴしゃりと私に言い放った。
「いつもママと二人で閉じこもっとるから、赤ちゃんが人に馴れんで泣くんよ!」
し、しどい!赤ちゃんが泣いたのはアタシのせいですか?キツイ一言に心よりも目頭が先に反応して、思わず涙がこぼれそうになった。
お散歩だってちゃんと毎日連れて行ってるわ。核家族だもの、しかたないじゃない。言い訳とも怒りともつかぬものが胸にこみ上げてきた、そのときである。
「あ~ら、久々に見たわ、この赤ちゃん」
自転車を止めて立ち止まったのは、はす向かいのオバちゃんであった。
「カワイイやろ」
「ほんと、かわいいね」
ばーちゃんとオバちゃんは、私のことなど忘れたように赤ちゃんに夢中である。もちろんその間、赤ちゃんは依然として号泣であるが、猛者二人、ものともせず。
「ね、なんて名前やったっけ?」
「は?あ、アダチです」
「それは知っとるって。赤ちゃんの名前」
「みいちゃんですけど」
みいちゃん、みいちゃん、みいちゃん、みいちゃん・・・。ばーちゃんとオバちゃんは、泣きじゃくる赤ちゃんを交代で抱っこしながら、根気強く何度も何度も呼びかけていた。
この騒ぎに、買い物帰りの奥さんやら散歩の途中のおばあちゃんやら通りすがりの近所の人が次々立ち止まり、狭い路地にちょっとした人垣が出来た。どの人も口々に、「みいちゃん」とあやしていた。
娘が泣き止んだ。理由はわからない。泣き疲れたのかもしれないし、やっと人に馴れたからかもしれない。とにかくぴたりと泣き止んだ。取り巻いていた人々は、いっせいに笑った。
娘は私のもとに戻され、みな満足げにそれぞれの帰路についた。
私はそのまま家の中に入るのがなんだかもったいなくて、娘を抱いてぶらぶら近所を一周した。家に戻ったころには、娘は私の腕の中ですやすやと寝息を立てていた。
こうして私は出会いなおした。
この街に、この人々に、そして私自身に。
『母は強し』というけれど、私は母になりむしろ弱くなったような気がする。
そしてそれがたまらなく豊かなことに思えるのは、きっと赤ちゃんが運んでくれた出会いのせいだ。
小さな小さな私の赤ちゃんは、この街で、私と『ひとのなさけ』を出会わせてくれた。

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