持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第7回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~

入選

”道“

滋賀県  パート  30歳

息子が4歳になって2カ月目に、2人目の子である娘を授かった。妊娠経過は順調で、出産時も、家族や病院の方々に助けられた事もあって安産だった。誕生した娘に初めて触れた時の、ほわぁと温かくて柔らかい感触を今でも覚えている。その感触を思い出す度、とても幸せで、娘を授けてもらった事への感謝の気持ちでいっぱいになる。
産後1カ月間は、実家で世話になり、その後、私達の住居であるアパートに帰った。実家とは違い、娘の荷物が増えて狭いアパートはより狭くなり、休日になると家族4人が部屋の中で過ごすので、息苦しく感じたが、あまり気にならなかった。娘が夜泣きせず、日中もよく眠り、母乳をよく飲み、すくすくと大きくなっていく、その幸せな気持ちの方が大きかったからだ。
妹が誕生した事により、息子が嫉妬するのではないかと、ほんの少し心配していたが、はじめのうちはその心配はなかった。“4つも年が離れているので大丈夫”と私が思っていた通り、妹に意地悪したり、赤ちゃん返りする事はなかった。
娘は日ごとに育ち、表情が豊かになり、ますます可愛らしくなった。その頃から、息子が娘を“うらやましい”と言う様になった。娘に対して私が優しくしているので、うらやましいと言うのだ。私は、それまでと変わらない接し方を息子にしてきたつもりだった。息子が娘に、“嫉妬しているんだな”と気付いたが、いずれ、その気持ちは消えていくだろうと思い、接し方を変えずにいた。だが、息子の“うらやましい”気持ちは強くなり、つじつまの合わない事を言い、最後には大泣きする事が多くなった。息子の大泣きで家事はできず、物は片付かず、私は苛立った。以前は気にならなかった荷物の多さと、アパートの狭さがうっとおしく思えてきた。その状況で娘にも泣かれると、近所の人への迷惑を思い、余計に苛立った。
“感情的になって叱らない”と心がけていたのだが、ある日、息子の大泣きが始まり、とうとう思い切り怒鳴りつけてしまった。息子の泣き声はさらに大きくなり、泣き止むまでかなりの時間がかかった。
その晩、ひと通りの用を済ませ、子供達の寝ている様子を見に行った。2人のお地蔵さんのような寝顔を見て、思わず微笑んだ。息子の顔を、そっとなでてみた。見た目はすっかり少年。他の子の影響で自分の事を“オレ”と言う様になった。でも、娘と同じで顔はすごく柔らかくて、頬はまるくて、寝息と一緒にお腹が早く動くのも娘と同じだ。息子はまだまだ子供で、私が思っていたよりもお兄ちゃんとして我慢していたのだ。そう気付くと共に、息子の赤ちゃんの頃を思い出した。
出産は、初産にしては楽だった様だが、力み方が分からず娘の時よりも疲れた。母乳は沢山出たが、うまく飲んでもらえるまで胸が張って痛かった。その後、息子がうまく飲んでくれたおかげで離乳時まで母乳で補えた。娘を育てるのに特に難しさを感じなかったのは、娘の生まれ持っての性質もあるだろうが息子が色んな“道”をつくってくれたからなのかなと思った。
娘を出産する時、より安産だったのは息子が通りやすい道をつくってくれたから。母乳がよくでて、娘がよく飲んでくれるのは、息子が力いっぱい吸って、母乳の通り道をつくり、上手く母乳をあげられる方法を学ばせてくれたから。娘との関わりを難しく感じないのは“赤ちゃんは大体こういう感じ”というのを息子が教えてくれたから。息子の存在の大きさに、感謝の気持ちがでてきた。
この様に気付いたものの、息子が駄々をこねると、相変わらず苛立ち、叱ってしまう。でも、前とは違う。赤ちゃんである娘と、赤ちゃんだった頃の息子の姿を重ねながら、愛情をもって叱るのだ。これもまた、息子がつくってくれた道である。

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