持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第7回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~

入選

美貴との出会い

福島県  助産師  38歳

私が美貴と初めて出会ったのは、美貴がまだお腹の中にいた時だった。妹は、助産師である私の勤める病院で出産をする為、福島にやってきた。久しぶりに会った妹のお腹はまん丸で、そんな妊婦姿の妹がかわいらしく、“この子が母親になるのねぇ”と何だか感慨深いものがあった。その妹のまん丸としたお腹をなでながら、「おばちゃんだよ、よくきたねぇ」と声をかけた。お腹の中で動く美貴の胎動を手に感じ、「わかるの!おりこうだねぇ」なんて、私も“親ばか”ならぬ“叔母ばか”だ。
翌日、妹は病院の初めての診察で“18トリソミーの疑い”の宣告を受けた。羊水検査後、診断が確定し、医師より「お腹の中であるいは分娩時に亡くなる可能性が50%、産まれてきても1歳まで生きられるのは約10%といわれています。生命力の強さは心臓の重症度によるが、この子の場合、無事産まれてきたとしても、もって2-3日でしょう」と説明を受けた。妹夫婦は、私の勤める病院で出産し、生まれてきた赤ちゃんの生命力だけで特別な延命治療をせず、赤ちゃんと過ごすことを決めた。
いよいよ、お腹の外で美貴と対面する時が近づいた。私は、すごくこわかった。今まで赤ちゃんをとりあげてきて、こんな感情は初めてだった。その時の私は、助産師でありながら、助産師でなかったようにも思う。
朝方、美貴が私の夜勤が終わるのを待っていたかのように、陣痛が強くなった。妹は、母親の手をにぎり、生む瞬間何とも言えない声をあげた。美貴の頭が少しづつ見え始め、次に顔。美貴は目をぱっちり開けて生まれてきた。大きくて澄んだ目で私をみていた(ような気がする)。「はじめまして、美貴。よく生まれてきたね」そこからは、どうやってへその緒を切り、妹の胸に美貴を抱かせたか、正直全く覚えていない。その時、私の中で初めてお腹の中の美貴に出会った6週間前からの出来事がよみがえっていた。夜中に布団の中で肩を震わせ、泣いていた妹の背中。妹のお腹にトラウベあて心拍を確認し、美貴がまだ生きていることに安心したこと。裁縫が苦手な妹が手作りしたおくるみ。お腹の中の美貴と一緒に体験したいとでかけた福島観光。健康に出産したいと1日60回のスクワットをする妹。多くの人に支えられ、たくさん泣いて、たくさん笑った6週間。この6週間は、美貴がお腹に授かって、ここにいることの意味を探し、感じるということを繰り返していた時間だったようにも思う。
美貴との出会いを通して、多くのことを知った。うまく言えないが、“命の力”と“人の支え”のようなものである。
私は、リスクのある妹の出産を引き受け、私達家族が美貴と過ごせるようスタッフ全員があたたかいケアをしてくれた病院とそのスタッフに心から感謝し、そのスタッフチームの一員であることに誇りを感じた。妹夫婦だけでなく、サポートする私や家族までもをみんなが支えてくれた。だからこそ、私達は全てを真正面から受け止め、しあわせに感じることができているのだと思う。
そして、何よりもすごいのは、“命の力”である。“もって2~3日”を越え、美貴は今9ヶ月になろうとしている。生まれてきた時のように、くりっとした目で私を見る美貴に「美貴が最初に会ったのは、おばちゃんだもんね~」と話しかけ、私はますます“叔母ばか”である。妹もすっかりママになり、たのもしい。
美貴との出会いは、助産師としての私をも変えてくれたと思う。どんな風に?とは、なかなかしっくりくる言葉が見つからないが、ただ、明らかに、見える景色が違うのだ。これから助産師として出会うたくさんの誕生、赤ちゃん、ママ、その家族との出会いを大切にしていきたいと強く思う。

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