持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第7回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~

入選

「初対面の記憶」

大阪府  大学事務職員  33歳

「初対面」という言葉がある。テレビや雑誌のインタビューでは「初対面の印象」なんかがよく尋ねられる。けれど親しくしている人の顔をあれこれ思い浮かべてみても、初対面の印象を今でもはっきりと覚えている場合はそう沢山でない。親や祖父母は記憶の始まりからすでに存在していたし、友達なんかも馬が合って知らず知らずのうちに親しくなっているのがほとんどである。余程特別な出会いでない限り、初対面の印象が記憶に残るというのは稀なことのようである。生涯を連れ添うはずの夫といえども例外でなく、初対面の印象は愚かどこで初めて顔を会わせ、いつ初めて口をきいたのかすら覚えていないのだ。
けれど、完全な例外がひとつある。我が子との初対面の記憶だ。わたしは娘を三人産んだから正確には例外は三つということになる。そのときのことは、まるで写真を見るように、テレビや映画の映像を見るように、くっきりと思い出すことが出来るのだ。
長女との初対面は橙の西日が差す夕刻の分娩室。腰の骨が砕けるかと思うくらいきつい陣痛の果てに産み落としたはじめての我が子。精巧に作られた小さな小さな生命が、手足を動かし顔を歪めて泣いていた。あんなにもつらい思いをした母親にではなく、分娩室の外で待つもうひとりの遺伝子提供者にあまりによく似ていることにわたしは驚いた。そして幸福すぎて可笑しさがこみ上げてきた。
次女が生まれたのは真白い雪が散らつく寒い冬の夜だった。暗い病院はひっそりと静まりかえっていた。分娩室には当直の助産師と医師、それに硬く冷たい分娩台で痛みを堪えるわたしの三人きり。夫はまだ幼かった長女を連れて家に帰っていた。赤ん坊は痛みを押し出すように一気に産道から出てきた。蕾のような小さな顔に薔薇の花びらを散らしたような真紅の唇が印象的だった。
こぬか雨が朝から降ったり止んだりを繰り返していた初秋の昼下がり。天井も壁も一面緑の分娩室には絞ったボリュームでクラシック音楽が流れていた。痛みの心積もりをしていたのに、三女はあっけなくするりと生まれてきた。二週間余り早く生まれた赤ん坊は顔中に胎脂が付着して真っ白だった。長女にも次女にも似たところのある顔に私の俤はかけらも無く、やはり夫によく似ているのだった。とうとうわたしに似た子はひとりもなかった、とちょっぴり恨めしく思ったりした。
カレンダーには三六五の日付が記されている。子供が生まれると、それまで何の意味ももたなかったその中の一日がとても特別な日に変わる。カレンダーに娘たちの生まれた日を見つけると、我が子との初対面の記憶とともに、あのとき感じた気分の高揚が蘇る。
我が子に出会えたよろこびと生命をこの世界に送り出した晴れやかな気分。ああ、女に生まれてよかった、と安堵した。出会った瞬間からお母さんとこども。母親を頼りに生まれてきてくれた生命の頼もしさ。自分の存在に自信が湧き、高らかに誇らしい気分であった。
昨年のこと。最近になってようやく携帯電話をもった母からわたしの誕生日にメールが届いた。「誕生日おめでとう」。三人の子の母親になった娘の誕生日のことなどすっかり忘れているものかと思っていた。結婚して家を出て以来、誕生日だからといって特別に電話を貰ったことなどなかったのだ。思い出してくれたとは珍しい。「いや」とすぐに思い直す。そうではない、忘れてなどいなかったのだ、と。わたしにとって娘たちとの初対面がかけがえのない記憶であるように、母にとってもわたしとの出会いは特別であったに違いない。大阪に天神祭りの賑やかな余韻が残る、暑いお昼過ぎ。病客の途絶えた静かな病院でわたしは産声を上げた。母が何度も話して聞かせてくれたその日の情景を、わたしは実際にこの目で見たことのように自分の記憶にとどめている。母とわたしの初対面の記憶。それは恐らくわたしの最初の初対面の記憶である。

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