持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第9回】
~ 赤ちゃんと笑顔 ~

入選

赤ん坊と8人の笑い

東京都  自営  66歳

私は父の笑顔を見たことがない。私にとって、いつもしかめっ面をしていた父は、子供の時分から近寄りがたい存在だった。
父は戦前からの熟練した旋盤工だったが、30年ほど前に事故で人差し指を残して左手を切断してしまった。けれどもそれからも父は、世の中が個人の旋盤工など必要としなくなるまで仕事を続けたものだった。いつだって父は、指が無くなった左手に誇りを持っていたものだった。
私の家はそうした父と、少し記憶力が衰えてきた母と私たち夫婦、それに私の長男夫婦の3世帯が一緒に住んでいる。つい最近長男夫婦に赤ん坊が生まれたので4世帯同居も夢ではない。
世代の異なる多人数が一緒に生活をしているので、朝の食事時などのドタバタぶりは相当なものだった。我が家の食卓は、かつて中華料理店で使用していたという中古品の大きな円卓を使用しているのだが、その周りに8人がずらりと座り、傍に置かれたベビーベッドには赤ん坊が寝かされている。
ここで8人という数に少し説明を加えると、父と母、私たち夫婦、息子夫婦の6人プラス赤ん坊のはずなのだが、実は嫁いでいた長女が離婚して小学生の娘を連れて帰ってきているため、8人プラス赤ん坊ということになってしまう。
大人数が集まった茶の間では、いつも茶碗の音がしたり、胡椒を取る手が複数から伸びたり、誰かがスプーンを落としてしまったり、阪妻がどうだったとか、嵯峨美智子は色っぽかったとか(これは私のセリフ)、上戸彩がどうとか一斉に、かつ勝手に話が始まる。長女の娘の話などはまるでエイリアンと同じで私には何一つ理解でいないが、それでも小学生のその娘は私のことを「おじいちゃん」、父のことを「おおじいちゃん」と呼び分けてアニメの話などをしてくれる。
だがそんな時でも、赤ん坊がムニャムニャと言いだしたり、ましてや泣き出したりでもすればさあ大変、8人全員の注目は赤ん坊に集中することとなる。全員が赤ん坊をあやしはじめ、すばやく抱き上げ、ミルクを作ろうとするもの、食事中のオムツですら誰もが自分で替えたがるのだった。
このように我が家では、いつのまにか赤ん坊を中心として生活が回っていくようになっていたが、全員が赤ん坊と関わりたいために時として赤ん坊の取り合いが始まることがある。いつも赤ん坊の母親そっちのけで、誰がお風呂に入れるのかも揉め事の種であった。
そこで私は考えた。8人全員でお風呂に入れる方法はないか。少なくとも全員がお風呂に入る赤ん坊を見れる方法はないか。そうだ、庭で行水をさせよう。
残念ながら今時は木の盥など売っていないので、大きな丸いゴムボートを購入し、全員を集合させると、やがて赤ん坊の行水イベントは挙行されたのであった。
全員がゴムボートの周りをぐるりと囲む。夏の日差しを浴びて、母親の手の中でニコニコと笑いながら、ぬるま湯にユラユラとする赤ん坊の可愛らしいこと。私の父までがふと手を伸ばし、赤ん坊の頬を突っいたりする。
するとどうしたことか、赤ん坊は手を伸ばして父の指を掴むではないか。父の誇りである1本しかない父の指を。
「あっ! おおじいちゃんと赤ちゃんが握手している」と長女の娘が言った。父の顔に照れたような笑顔が浮かんだ。一瞬の沈黙の後、私たちは一斉に笑い、8人の笑いの中心で赤ん坊は天使のように笑い続けていた。

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